ミス・シェパードをお手本に

久しぶりに映画についての投稿を。
今回は「ミス・シェパードをお手本に」。
主演はハリーポッターシリーズで有名なマギー・スミス。

舞台はロンドン北西部にあるカムデンのグロスター・クレセント通り。物語はほとんどこの小さな通りを中心に進んでいく。
マギー・スミス演じる「ミス・シェパード」はホームレスで、大きなワゴン車を家代わりにしながらグロスター・クレセント通りで暮らしている。
この通りに引っ越してきた劇作家のアラン・ベネットは母親についての戯曲を書いている。


ベネットが家を買った1960年代、ミス・シェパードは山手に住んでいた。車を停めさせてくれる家を探しながら徐々にクレセント通りを下り、ついにベネットの住む23番地へと彼女はやってきた。
住人たちが声をかけても、食べ物を差し入れしても礼を言うどころか悪態をつくミス・シェパード。リコーダーの練習をする子どもたちを騒音だと罵り、子どもたちからは魔女だと言われる。路上駐車をとがめられたり、嫌がらせを受けるミス・シェパードの様子を家の書斎から見ていたベネットは、「自分の心配事を増やしたくない」と彼女の車を自宅の駐車場に入れてはどうかと提案し、奇妙な共同生活がはじまるのであった。


この話は1974年から89年までの15年間、ミス・シェパードと同じ敷地で暮らしたベネットの日記風に綴られたものに、彼女の死後に知った事実から得た想像も盛り込まれている。
冒頭に「A Mostly True Story 」と出るように、これはほとんど真実の物語なのだ。

ミス・シェパードは不思議な女性だ。一見不潔なホームレスで、路上で教えを説いたり、揺れるほど激しく祈りを捧げたり、たまにどこかに出かけたりする。と思えば唐突に車を黄色に塗りだしたり…と予測のつかない不可解な行動ばかりなのだが、話が進むにつれて彼女の過去が明らかになっていく。
ベネットから「体臭協奏曲」と評される悪臭を振りまくミス・シェパードだが、いつも自分の芯を持ち、貫く姿は高貴なレディだった。

この話はとても面白い表現がされていて、ベネットはなんと二人登場する。劇作家として執筆するベネットと、ミス・シェパードと関わりながら生活をするベネットの二人の人格がそのまま表に出ている。(写真は舞台バージョン、映画では同じ俳優が演じている。ちなみに映画は舞台が上映された15年後に作られた。)

どうしても細かいところに目がいく性格なので、この二人のベネットの服装の違い(シャツは同じだけどネクタイしてたりしてなかったり)などに制作側のセンスを感じずにはいられなかった。
服装で言えばベネットと彼の母親が同じ色でコーディネートされてたり、ワゴンの色とミス・シェパードの服の色が同じだったりして、すごく可愛くて興奮した。

話がユーモラスに描かれているので、実にテンポよく明るく展開していくのだが、ベネットの母の認知症が進行していく様子や、かつて修道女だったミス・シェパードの苦難の人生が垣間見えるたびに、人生の儚さを感じてしまう。
つらい過去を背負いながら決して楽ではない生活を送るミス・シェパードは、それでも強く生きていて、私の目にはそれが自由で充実しているものに見えた。そんな女性がかつていたことを感動しつつ、ベネットのユーモアあふれる表現に笑いつつ、明るい気分で映画を見終わった。

最後に好きなシーン。
ついに車椅子なしでは外に出られなくなったミス・シェパードが、ベネットに坂の上まで運んでくれと頼むのだが、しぶしぶベネットが押してやると彼女は坂の上からブレーキもなしに坂を猛スピードで下りていくのだ。
そのやんちゃな笑い声が少女のようで、ほっこりした。
過去を嘆き人生を悲観するのではなく、懺悔しながらも楽しく生きようとするミス・シェパードをお手本に、自分もそんな人生を歩みたい。



つづく。


新年度、無職

日々のこと、暮らしの中のもの

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