SNS狂想曲

1月はなんとなく長く感じたのに、2月はあっという間。気付けば明日から3月!早いなぁ。
さて今回はSNSについてツラツラ。



長崎の街が色とりどりのランタンで彩られる冬のイベント、ランタンフェスティバル。毎年見に行くが、家が市街地から近くなったこともあり、通りすがりにフラフラ見て回ることが増えた。
電車も然り。よく利用する路線でランタンが綺麗に見える風景があり、何気なしに動画を撮ったのだが、これも何気なしにツイッターに投稿したところ大変な反響を呼んだ。



2.7万人がリツイートし、4.8万人の人がいいねをしてくれたのだ!
通知は鳴り止まず、桁外れな数字は思考回路を停止させた。コメントも続々と寄せられる。
幻想的、千と千尋の世界観、異国みたい…。非日常的な風景がこれほどまでに人を感動させるとは、投稿者ながら驚いた。
長崎に興味を持ってくださる方だけでなく、かつて長崎に住んでいたという方の地元を懐かしむ声も多かった。さらに海外からもコメントが…。

長崎のまちの魅力を日々感じながら、細々と発信していたが、ツイッターを通してこんなに広がるなんて。
改めてSNSの凄さを感じた。

そして渾身のオチが待っていた。


ランタンフェスティバルも終わり、自身のツイッターアカウントに固定しておいた例の投稿を、固定だけはずそうとしたつもりがうっかり削除してしまったのである。
完全に操作ミス。指の動きと脳からの指令のミスマッチ。
ランタンの灯りが消えるように、呆気なく投稿は電子の藻屑と消えていった。

落胆したものの、ツイッターは流れるものである。リツイートした人々のタイムラインから消えてしまうことはそんなに重大ではなかろう…羊食べるを闇に葬ってくれ…!と諦めはついたのだが、いわゆる「引用リツイート」となると話は別である。
引用リツイートはわたしのツイートだけでなくリツイートした人のコメントも表示されるため、一度削除してしまった羊の投稿は表示されない。せっかく紹介したにも関わらず、「このツイートは表示できません」と表記されたままリツイートした人のタイムラインに残り続ける事態は非常にモヤモヤする!

ということで引用リツイートしてくださった方々全員に、投稿を削除してしまった旨と再掲の報告をした。すると有難いことに多くの方から温かいお返事が!
この時直接リプライしたことで、単にリツイートするだけでは生まれない「対話」ができたのだ。

SNSには「繋がっているようで繋がっていない安心感と孤独」があると思う。匿名性を活かして普段の生活から得られない情報や交流が得られる一方、多くの目に触れながらその評価にどれだけ血が通っているのかわからなくなる時もある。良くも悪くも表裏一体。それも使い方次第で大きく変わる。

今回の件で感じたのは、簡単に短時間で多くの人に拡散できるSNSの手軽さと世界の広さ。そして対話をすることによって、仮想空間の相手が現実の血の通った存在であるということに気付けるということだ。後者は当たり前のことなんだけど、SNSにハマればハマるほど霞むもので、いつの間にか評価を数字で考えてしまう。Facebookのいいねとかも。

たくさん数があればあるほどいいのか?いやむしろわたしは、一つ一つの評価にどれだけ気持ちが込もっているのかが大事なのでは、と思ってしまう。多くの数の評価を得ることはそんなに難しいことではない。なぜなら共感する人が多ければ多いほど鼠算式に拡散されていくから。この連鎖はどこまでも続き、止まらない(これは本当に実感した)。

多くの評価を得ても、ツイッターなんて特に一過性のものだから、どんな投稿であろうとなにか「意味」のあるものがいい。
そして広がることでその意味がさらに「意義あるもの」に変化していけばいいと思う。


P.S.
でもやっぱりSNSは時間を決めて眺めるに限る!生活の一部になってしまうと片時も離せなくなるからね。
がんばろう。


つづく。




新年度、無職

日々のこと、暮らしの中のもの

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