ホームスイートホーム

5月、めまぐるしく日々が過ぎ、ようやく一息つく頃には6月が目前まで迫っていた。そんなめまぐるしさの中で気付いたことがある。それは自宅の安心感である。

普段のわたしは休日ともなると「どこかへゆきたい!!」と意気込み、ほぼ確実に外へ出ているのだが、この「どこか」というのは近所から電車に揺られて行ける範囲まで様々だが共通しているのは「誰からの制約も受けない場所」であり、「自己満足の逃避行」と言ってもいい。
最近はもっぱら近所で済ませるが、一人になれれば心の安泰には十分なのだ(喫茶店然り)。

今月といえば初旬は人に会う予定が多く、大学時代の友人らと集まって話したり、今年大学に入ったばかりの妹と遊んだり、なかなかの充実っぷりで楽しい時間を過ごした。
一方毎週末イベントが続き、なんとなく忙しない状態で中旬をむかえる。この頃になるとほぼ毎日恋人の手伝い(現代美術展への作品展示)をしていた。一緒に作業することはもちろん楽しいのだが、早朝家を出て帰宅するのは深夜の日々が続き、次第に部屋は荒れていった。
その間も本職の仕事や居酒屋のアルバイトをしていたので、自宅は実質寝るだけの「通過点」になっていた。

そしてようやく落ち着きを取り戻した頃、部屋の惨状と自身の体調不良に気付いた。洗濯物を取り込んでそのまま、布団も敷かずソファーで寝ていたので窮屈な体勢が慢性的な疲労、不眠へとつながった。

これじゃいかん!
散乱した服、本、印刷物、雑貨もろもろを片付け、滞っていた掃除もやった。
見違えるように綺麗になった(正確に言えば元の状態に戻った)部屋はたまらなく愛おしかった。

布団で眠るとき、ああずっとこの部屋でのんびりしていたい…と思った。これまで至らなかった考えだった。
当たり前のように生活していて忘れていたが、自宅こそ安息の地であり、誰にも邪魔されないサンクチュアリなのだ!

刺激を求めて外に出るのも大事だが、そんなことばかりでは自身が擦り切れてしまう。たまには内にこもって自分と向き合う、積ん読文庫を漁る、絵を描く、掃除をする、料理する、そして寝る。それだけでも心にできる余裕は大きい。

そんなことに気付いた五月晴れの週末。

つづく。

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