明るいところ、暗いところ

4年と半年住んでいるアパートを、先日解約した。
引っ越す理由は新たに住む家が決まったからで、それは新たな一歩でもあるのだけど、住み慣れた場所を離れるのはやっぱりさみしいものだ。

このアパートは住む以前から気になっていて、募集が出た時すぐ連絡して、内見して速攻で決めた。
少し坂をのぼるけど、その分眺めが良くて、港が見える窓がとにかく好きだった。
大学卒業したら実家を出る約束だったから、ここが初めての自分の城だった。

家賃が高いと言われる長崎の中では安い方で、おそらく立地と築年数の古さが影響しているのだろう。
木造だから熊本地震の時はかなり揺れた。
余震の震度1とか2とかでも絶対に目がさめるくらい。
台風の風でも揺れる。それくらい弱い。


それでもここを選んでいるのは、このまちが好きだから。
ここにしかない風景も、息をひそめるような歴史も、全部魅力だったからより身近に感じたくてここに来た。

こんな理由で住んでいるのはこのアパートでは私くらいだろう。
他の住人はきっと「安いから住んでいるだけ」の単身者だ。
どこで働いて、休日は何をしているのかはよく知らない。
そしてちょっと変な人も多い。


3年くらい前だったか。いつも通り仕事から帰ってきて、階段を上った先に2人の中年女性がいた。
うち1人は1階の住人だと言う。適当に挨拶をするが、もう1人が話し出す。
どうも宗教の勧誘らしかった。
やべー住人がいるなと思いつつ流して帰宅したが、翌朝も来たもんだから冷たく結構です、とドア越しに言い放ったらその後はもう何もなかった。
たまにどこかからか帰ってくるその1階に住む人を見かけるが、いつもうつむいている。
あなたが祈りを捧げているのは一体なんなんだろう。


まだ入居して間もない頃、上京する友人が自転車を持ってきた。
使ってもいいということで置き場を検討していた時、近くの部屋の窓が急に開いて、中年の男性が部屋の前に置いていいよと言った。
友人と私はややビックリしたものの、ありがたい気持ちでその男性の部屋のドアの横あたりに停めさせてもらった。

彼は私の部屋の下の住人だった。
先ほども書いたように、ここは古い木造アパートだ。
不思議と横の住人の物音はあまり聞こえない(それもそれで怖い)のだが、上と下に関してはかなり聞こえる。
といっても下の人はほとんど家にいながらあまり物音はしない。テレビとかも見てなさそうだった。

一方わたしは注意力散漫で、よく手から物が滑り落ちることがあった。
そんなときもちろん音がする。
そしてそれが結構な頻度だった。その時は自覚がなかったが、本当に下の人には申し訳なかった。


ある時友人が泊まりにきたことがあった。
女子同士、楽しく語らっていたが夜になってからやたらと下から物音がする。
変だとは思ったが、布団で寝る時になってようやく暴れているらしいことがわかった。
友人は不安げだった。それを申し訳なく思い、多分押しかけたりはしないと思う、などと慰めるので必死だったのを覚えている。

その日から少しずつ下の人は様子がおかしくなっていた。
ドンドンと何かを叩く音、何かを投げる音、「うるさか!!」と叫ぶこともあった。
だがその時のわたしは、相変わらず物を落としはしていたが騒いだりすることはなかった。

足音の軋みなどは日常茶飯事で、そのレベルの音すら許せなかったのだろう。
吐くような音が聞こえることもあった。
正直自分も耐えられず、下からの叫びに泣きながら「うるさいのはお前やろうが!」などと吐き捨てたこともあった。荒れてるな。


一時期からパタリと音がしなくなったことがあった。
いなくなったのか、いやバイクはある、電気はついていない、気配がない…

もしや死んでいる?

そう思いだしてから、妙にドキドキして眠れなかった。
今わたしの下には死体があるのではないか、と。


2ヶ月ほどしたある日、下から普通に生活音が聞こえだした。
案の定、怒りのこもった音も聞こえたので明らかに下の住人だった。
ホームヘルパーをしている母に相談したら、障害がある人は何ヶ月か入院することがあるよ、と言われたので合点して時折聞こえなくなる物音に心配することもなくなった。


昨年のことである。
仕事もプライベートも忙しくしていて、特に下の住人に気をかけなくなっていた頃だった。
夏前の5月か6月だったろうか、まだ過酷な暑さはなく、過ごしやすい日もあるような気候の頃、帰りが遅くなりがちで気付いたことがあった。

下の部屋の電気がついているのだ。
深夜2時をまわっていて、傾向としてはこの時間は消えているはずだが…と思いながらもただの消し忘れ程度にしか思っていなかった。

それから1週間ほどだろうか、夜帰ってくると下の部屋の電気が切れかかっている。
チカチカと明滅する明かりを見て血の気が引いた。

こんな時どうしたらいいのかわからなくなって、気づいたらいつもお世話になっている自治会長さんに電話をしていた。
かくかくしかじかで、電気が切れかかっているんです、とやや声も手も震えながら話した。
会長さんは大家さんもしくは不動産に連絡することを勧めてくれた。
翌日不動産に連絡をして、その日は普通に出勤した。

その日の昼ごろ、偶然アパートの近くを通った近所に住んでいる友人が、お前んちの前に警官がいっぱいいたぞと教えてくれた。
あー、やっぱそうだったか、と思う一方で、警官はただ捜査にきただけで、住人は電気消し忘れのまま入院していたんだろうとも思っていた。
むしろ後者の方を強く信じていた。そうであってほしかった。


後日地域の会合で、わたしの住む自治会の会長さんから下の住人が死んでいたことを告げられた。
なんだか、気が抜けてしまった。
どこかで、生きていてほしかったと思っていた。

会合からの帰り道、電話で相談した自治会長さんと話をした。
会長さんは、自分の自治会でも同じように電気が付けっ放しで発見された人がいたと教えてくれた。
亡くなっていたのは一人暮らしの50代の女性だったそうだ。
下の住人も60代くらいだったと話すと、会長さんはさみしげに、支援を受けられなかったり、気付かれないのはその世代の人たちかもしれんねと言った。

自治会や老人会などに入っていれば自然と見守りが機能するが、加入していなければその恩恵は受けられない。
倒れても誰も気付かない。
なんて悲しい人生なんだ、と今でも思う。

その後、下の住人の隣に住むおじいさんから聞いた話で、無職で親からの仕送りで生活していたこと、結婚していたが離婚したこと、腰が悪くて働くことができない体だったことなどがわかった。

自由の効かない生活、毎日1回食料を買いにバイクで外に出るくらいであとはずっと部屋にいる、趣味なんてなく、捌け口もなく、上からの騒音にひたすらイライラする。

そして死んだ。死んでしまった。

家族ではなく、騒音の主体の人間が連絡するまで誰にも気付かれずに、一人死んだ住人。
わたしがあの時気付かずそのままだったら、きっと異臭騒ぎなどもあったろう。
幸い発見は早かったようだ。そして荷物の片付けや清掃も、日中仕事でいない間あっという間に終わっていて、あっけなかった。

今や下に誰もいないことが当たり前になって、物音がひどかったことも遠いことのようだが、孤独死という現実が自分のすぐ近くで起きたことはわたしの人生に少なからず影響があったように思う。


今わたしは仕事と別に、このまちで拠点をつくり地域と交流したり、まちの魅力の発信などをしている(というと大それているが…このことについてはいつか書きます)。
活動する5年の中で地域の人とも仲良くなり、イベントをしたり、そこにきた他地域の人が移住してくるなど明るいことでいっぱいだった。
住みやすいまちになっていく予感もあった。

でも明るいところがあれば必ず暗いところもある。

経済的な理由、身体や病気にまつわる理由、その他いろんな事情で余裕のない人は確実にいるのだ。

そして彼らのいる影にはなぜか目は向かない、行政も手を出さない。
すべて自己責任の4文字で片付けられそうな、無責任なまでの放置プレイ。

彼らは本当は、こんな人生を歩みたくて歩んだわけではないはずだ。
どうしてそうならざる得なかったのか、この差はどうして生まれてしまったのか。
これはもう他人事ではない、いつ自分事になってもおかしくないことなのかもしれない。

下の住人のこと、もちろん好きではなかった。
それでもやっぱりこんな死に方はあんまりだと思う。
どんな人生だったかなんて知らないけど、孤独死で最後の最後まで迷惑がられるのって生き方全部否定されるような気がしてつらい。


あの人は社会から置き去りにされた人の一人だ。


ちょっと人と違うとか、変なところがあるとか
そんなことですぐ人は距離を置く。
家族にも見捨てられ、地域でも孤立しているとき
せめて最低限の文化的生活ができる支援は必要だろうと思う。
一個人が難しいなら、ふさわしい機関と仕組みがいるだろう。
(最低限の文化的生活というと語弊があるかもしれない、どんな生活をするかはもちろん個々人の意思もあるだろうけど、ここで言いたいのは人が人として尊厳のある生き方ができること…というと近いのかもしれない)

見ないのも、関わらないのも簡単。
でももし、置き去りにされた人のところに子どもがいたら。
生まれながらにして普通を知らず、同じように疎まれながら生きなければならない人間がいたとしたら。
見過ごす限り、永遠にこの負の連鎖はなくならないと思う。
誰一人取り残さない社会をどうやったらつくれるのか
今の自分に何ができるのか
考えていきたい








新年度、無職

日々のこと、暮らしの中のもの

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